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講師紹介

はじめまして! ホームページをご覧いただき、ありがとうございます。
教室にいらした生徒さん一人ひとりの個性を大切に、演奏することの楽しさ、深さ、そして音楽の魅力を伝えられたらと思っております。
音楽を身近に感じられる喜びを、 笑顔いっぱいで一緒に楽しみましょう!

秋岸多喜子(あきぎしたきこ)


  • 仙台市出身
  • 常盤木学園高校卒業
  • 東京音楽大学声楽科に入学
  • 中学校及び高等学校教諭免許(音楽)取得
  • 在学中、ブルガリア・ソフィアコンセルヴァトワール 声楽ゼミナールに参加
  • 大学卒業後、財団法人 日本オペラ振興会 オペラ歌手育成部修了
  • 大学在学中より楽器店、音楽教室等でピアノ・声楽講師を務める
  • 1988年、横浜で「秋岸音楽教室」を開く

音楽との出会い

5歳の時、通っていた幼稚園で「ヤマハオルガン教室」のお稽古をしていました。 そこで、初めてピアノに出会いました。 この頃から歌が好きで、姉とともに童謡の「レコード」(クリちゃんレコードというものでした)をよく聴かせてもらっていました。 姉が習っていたので、私も・・・と、小学校に入ってからピアノの個人レッスンに。優しい男の先生でした。

やっぱり楽しい!


中学に入り、部活は合唱部。NHK合唱コンクールにも出場しました。 そして今度はちょっぴり厳しい女の先生にかわり、合唱の楽しさ、歌う喜びを感じ始めた頃、またしても姉の後を追って声楽のお稽古も始めました。
実は・・・練習が嫌いで・・・なかなかピアノのふたをあけ、赤い布をどかし、楽譜を出して、鍵盤に手を乗せるまで・・・ 1時間くらいはかかっていたかも!でした。 でもいったん練習を始めると、結構楽しくて、今練習している曲のほかに、”まる”をいただいた曲や、 合唱の伴奏まで、いろいろな曲を弾いていました。ピアノを弾くことも(練習を始めてしまえば)楽しくて、身体を使って歌をうたうことも楽しくて・・・ 音楽を知らず知らずのうちに満喫していたのかな?と今になって思い返しています。
高校に入る頃から「音楽の学校に進もうかな」と思い始めて、高校時代はピアノ、声楽、ソルフェージュのお稽古の時間を作るために、部活は園芸部。 放課後にはレッスンもあったので、かわりによく昼休みには球根を干したり、お花の植え替えや水やりをしていました。 きれいにお花が咲くと嬉しかったなぁ。 小さい頃、あまり練習もしていなかったので、母は「そんなに練習してなくて、先生に申し訳ないと思わないの?」「恥ずかしくないの?」 など・・・とはよく言っていましたが(笑)「もう辞めたら」とは一度も言いませんでした。 今私がこうして音楽に携わっていられるのは、そんな風に、気長に見守ってくれていた両親があってのことで、素直に感謝しています。

秋岸寛久(あきぎしひろひさ)


  • 横浜市出身
  • 神奈川県立希望ヶ丘高校卒業
  • 東京音楽大学作曲科卒業
  • 同大学研究科を修了後「日本音楽集団」に入団
さらに詳しい経歴は、こちらをご覧ください。
日本音楽集団とは
日本の伝統楽器を使い流派を超えて合奏やアンサンブルを行っている団体です。 団員は日本を代表する演奏家や指揮者、作曲家の方たちです。

なぜ作曲家に?

小学生になった頃からピアノを習っていましたが、4年生の時に家族旅行で金沢に行き、初めて「箏」という楽器を実際に見ました。 もともといろいろな楽器に興味があったのですが、それまで知っていたピアノやオルガン、ハーモニカやリコーダーは音の出る仕組みがよくわかりませんでした。 でも、箏はその構造がとてもシンプルでわかりやすく、単純な仕組みでも華麗な音楽を奏でていることに感銘を受けました。 早速おせんべいの空き缶にゴムの弦を張り、かまぼこ板を立てて楽器を作って遊んでいるうちに、どうしても本物に触れてみたくなりました。 それが邦楽器との出会いです。
また、小さい頃から「名曲シリーズ」のレコードをよく聴いていましたので、自然にクラシック音楽に親しんでいました。 ある日友だちの家でヴィヴァルディーの「四季」のレコードについていたオーケストラスコアを初めて見て、 複雑な音楽のすべてが書かれた設計図のようなものの存在を知り、作曲という仕事に興味を持ちました。 横浜のヤマハでスコアが入手できることを知り、スコアを見ながらレコードを聴くことに喜びを感じるようになり、また、ピアノで弾いてみたりもしていました。 そのうち自分でもスコアを書いてみたくなり、五線のノートで遊んでいるうちに、それを見たピアノの先生が作曲の先生を紹介して下さり、 作曲の道に進むこととなりました。